ハイデルベルク城

「ハイデルベルク城」は、ドイツ都市ハイデベルク市にある城址で、ドイツで最も有名な城址として知られています。この城址の歴史は古く、初めて文書に記録されたのは1225年のことで、すなわちそれ以前にはもうこの城は建設されていたということです。11世紀当時に王であったルートヴィヒ1世が、ヴォルムス司教であったハインリヒから獲得したとされており、1214年にはバイエルン公がこの城の城主となりました。
この城は今まで様々な文書に登場したり、絵画のモデルとして描かれてきた経緯があり、この城を描いた作品で最も古いとされているものは、1559年から1606年頃の作品であるマルクス・ツム・ラム(プファルツの教会参事会員)の「Thesaurus Pictuarum」、1587年以降の作品であるピトポエウス(ハイデベルクの司書兼教授)の「Annales Academici Heidelbergenses」、1599年の作品であるマルクァルト・フレーアーの「Originum Palatinarum Commentarius」、1632年の作品であるマルティン・ツァイラーの「Teutsche Reyssebuch」などがあります。しかし、これらの作品はどれも表層的な描写となっており、建物の作りが分かるような詳細な描写では描かれてはおらず、より鮮明な描写で描かれるような描写で描かれるようになったのは、1605年の版画家で製図家のマテウス・メーリアンの「Topographia Palatinatus Rheni」とされています。


ハイデルベルク城は、ライン川とネッカー川が合流する地点の小高い丘の上にあり、旧市街を見下ろす形でそびえ立っています。この城があるハイデベルクには、ドイツで最も古いと言われているループレヒト=カールス大学(ハイデベルク大学)があることでも知られており、世界中の学者達はもちろん、多くの観光客にも人気の街です。そんな魅力ある街にそびえ立つ褐色の城は、十分なほどの存在感を醸し出しています。


その圧倒的な存在感を見せるハイデルベルク城は、過去にはプファルツ選帝侯の住居として使用されており、1689年に起こったプファルツ継承戦争でルイ14世に破壊されるまでは、この選帝侯の居城となっていました。kこの城の建築様式はルネサンス様式となっており、アルプスから北の地域においてこのルネサンス様式の建造物は大変貴重とされており、現在では重要なルネサンス様式の遺構とされています。